なでしこジャパンとして、女性初の監督に就任されている高倉麻子監督が可愛い、美人、と言われていますが、サッカーに対する情熱や、少女時代からの努力もすごいんです。
今回は高倉麻子監督の少女時代から、現在に至るまでのサッカー人生の一部をご紹介させて頂きます。
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まずはじめに。
高倉麻子監督(以下高倉監督)についてのwiki風プロフィールをまとめました。
高倉麻子監督のプロフィール
名前:高倉麻子(たかくら あさこ)
産まれ:1968年4月19日
年齢:51歳(2019現在)
身長:163cm
結婚:既婚(夫は竹本一彦さん)
出身:福島県福島市
日本代表歴:1984-1999
なでしこジャパンの監督:2016~
次は高倉麻子監督が少女だった時、どのような環境でサッカーを続けてこられたのか?
について触れて行きたいと思います。
高倉監督の将来の夢はプロ野球選手だった
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高倉監督が小学校2,3年生までは女子プロ野球選手になる!と決めていたそうです。
それもそのはず、当時はまだJリーグも発足されておらず、
プロ野球リーグが人気の時代で高倉監督自身も巨人ファンだったようです。
女の子で巨人のファンとなると、お兄ちゃんやお父さん、などの影響が強いと思われますが、
高倉監督のご兄弟の有無についての情は報道されていません。
時代は流れ、高倉監督が4年生に上がった頃、一緒に遊んでいた男子の野球仲間が一斉にサッカーを始めた事で、高倉監督もサッカーを始めたそうです。
当時の時代背景~考えても、男子の中に女子が混じってサッカーをする姿は珍しく、
男子からはいじられの対象にもなったようです。
中学に入り、部活はソフトボール部に入部しています。
それもそのはず、男のスポーツとして認知されていたサッカー部に女子が入る、
といケースは受け入れられなかったのではないでしょうか?
ソフト部に入部した高倉監督は1学期中に退部しています。
中学生で東京と福島の通勤練習、それも毎週末!
本当はサッカーがしたいのに、福島にはその環境が無い!
それを見ていた母親がサッカー雑誌から「女子サッカー選手募集」の記事を見つけくれたのがきっかけとなり、「FCジンナン」に入部する流れとなりました。
FCジンナンとは、日本の女子サッカーで初のクラブチームで誕生は1972年(高倉監督が当時4歳)ですが、東京都リーグの強豪チームで多くの選手を輩出しました。
当時、若干中学生だった高倉監督は大きなカバンを抱え、
週末になるとクラブのある東京都渋谷まで、片道3時間以上の時間をかけて練習に参加していた様です。
電車で往復6時間以上を毎週末、それを6年近く続けてこられたのですから並大抵の精神ではありません。
当時のFCジンナンのメンバーは、誌上募集で集まった高校生から社会人で結成され、
当時のクラブ監督が誰だったかについてはwikiには書かれていませんdした。
また、女子向けのサッカー用品は無く、男子用Sサイズを着用し、ウェアはダボダボ、
練習場を見つけるのも苦労していたようです。
また上野駅では大きな荷物を抱えている為、家出少女に間違われ説明をすると
「どうして女の子がサッカーを?」
というエピソードも紹介されています。
なでしこジャパンを率いる高倉麻子監督が中学生の頃、地元福島からサッカーの女子チームがある東京まで片道3時間かけて通った。
警官に家出少女と間違われ、説明すると「どうして女の子がサッカーをするの?」と不審がられた。
そんな高倉さんは中3から日本代表に選ばれ、2度の五輪とW杯を経験した pic.twitter.com/wGx6IbLJr3
— 清水泰樹 (@kLUI0AD9o8n7RmT) 2019年6月14日
高倉監督は中学を卒業後、地元福島県の福島県成蹊高等学校へ進学していますが、
女子高でサッカー部が無い為、福島工業高等学校の男子サッカー部に混ざり練習を続け、
週末は三菱養和クラブに。
その間、高校生で日テレ・ベレーザへ入団し、83年15歳で日本代表へ初選出。
84年(当時16歳)に中国で開催された第1回、FIFA女子世界選手権(現在のFIFA女子ワールドカップ)でデビュー戦を飾るまでに。
高倉監督の福島から東京への通い練習は、和光大学へ進学するまで続けられました。
以降、36歳まで現役の女子プロサッカー選手として活躍された後、
監督としての道を歩まれています。
輝かしい成績の裏には、はかり知る事の出来ない努力がある事を感じました。
当時の女子サッカーの状況は?!
当時、女子選手たちがどのような環境、状況でプレーを続けていたのかについて一部を紹介しますと、
- 観客席もないグラウンドで試合をしていた。
- グラウンドなのでもちろん更衣室もなく、木影で着替えも。
- 遠征費は選手持ちで費用が負担出来ない選手は試合もあきらめる。
- バブルの崩壊で相次ぐ企業の撤退等。
当時の状況を知ると、女子サッカーの地位が世間からどの程度に見られていたのかがわかりますね。
おわりに
非常に厳しい環境の中でサッカーを続けてこられた事、サッカーへの想いがあったからこそ今の監督の姿があると思います。
先輩方のおかげもあり、2011年の女子W杯では優勝を飾る事が出来、2015年では準優勝の成績を残しています。
2019のフランスW杯は高倉監督にとって、監督として初のW杯。
今後の試合の結果が大いに注目されますね!
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