インド映画「TOILET-Ek Prem Katha」どの家庭にもあるトイレが嫁ぎ先になかったら、、、

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久々にインド映画を見る機会があり、なんとなく「TOILET」という映画のタイトルが目に入ったので軽い気持ちで観賞したが、後半、主人公の ケーシャヴがインド社会の古くからの風習に異言を訴え、古くからの文化をぶち壊す痛快コメディ映画だった。

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おおまかなあらすじ

片田舎で自転車屋を営むケーシャヴと都会育ちで教養の高い一人娘のジャヤーが恋愛の末結婚、嫁いだ先にトイレがない事にジャヤーがブチ切れする所からこの映画の面白みが始まる。

無かったら作ってしまえば解決では?

そう簡単にいかないのがインド社会の昔からの伝統で、トイレは不浄な物、牛は自宅の中庭で糞尿を出来るのに女性にはそれが許されないんです。

映画中盤、ケーシャヴは教養の高い妻との結婚を周囲に嘆くシーンがあり、インド社会での女性は夫の言う事を聞いていれば良い、的な表現がされている部分、他国の女性からは納得得られないのかな。。。

女性はどこで用を済ませる??

話は戻って、では女性はどこで用を済ませるのか??

女性たちは夜明け前、集団になり自宅から離れた藪の中で用を済ませなければならないのです。

なんじゃそりゃ!!(怒)

しかしそこはインド社会、この文化に理解のある女性でなければ、わざわざ尻を洗うツボに水を抱えて尿意を我慢しながら藪の中で用を済ませる事は出来ないでしょう!!

しかもそこはサソリや蛇が住む危険な藪。

その文化を今まで受け継いできている部分にインド社会の宗教に対する崇拝、女性に地位を感じずにいられません。

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我慢の限界、ジャヤーブチ切れ!!

毎朝、毎朝、近所の主婦らが新婚ジャヤーを誘いに来る事訳です。

それに苛立ちが募り、そんなクソな文化を今なお忠実に守っている近所の主婦らについにブチ切れ、この辺りからこの映画の核心部分に迫っていくシーンが見ているこちらもスッキリ爽快。

まるで「遠山の金さん」や「水戸黄門」を思いだす古い伝統にとらわれたインド文化をバッサバッサと切り捨てて行く部分にとても熱い物を感じずにいられませんでした。

まとめ&体験談

世界では#Metoo運動で女性から声を上げる活動が見られるもも、世界から見るとほんの一部なのかも、日本でも男女平等とは言われつつも、沙織さんの件についても主要メディアは取り上げなかったりとまだ弱いと感じずにはいられません。

それがインドともなれば、この映画から女性の地位は言わずとも理解できます。

インドでは観光客の女性が現地の男性に襲われる事件が良く聞かれ、先日も観光で入った邦人女性がタクシーの運転手に森の中に連れて行かれ、性的暴行を加えられてニュースが流れました。

この様な行いをする男性らの価値観に強く憤りを感じると共に、筆者も若かれしころ、インド一人旅に憧れ勇気を振り絞って行ったのだが、今思い起こせばホテルのエレベーターに乗り合わせた客にキスされそうになったり、街を歩けば「お前はジプジーか?」と聞かれたり、タージマハールでは、現地の男どもに囲まれたりと今思い起こせえば危険と隣り合わせだったとつくづく感じる。

何事もされずに帰国出来た事は仏様に感謝しかないと今でも思っている程。

話はそれてしまったが、たかがトイレの話だが、文化が違えばトイレに対する価値観も違うんだなと改めて感じる映画でした。

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